同情




心や女性あるある

同情が泣くほど嬉しかった日→同情が偽善だと痛感して涙した日

同情されることについてどう思いますか?

同情ってことば嫌な意味合いが入っていますよね。

同じような言葉に、共感があります。

共感はうれしいけど、同情はやっぱりされたくないですよね。

同情が泣くほど嬉しかった日→同情が偽善だと痛感して涙した日ということで書いてみます。

 

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同情が泣くほど嬉しかった日→同情が偽善だと痛感して涙した日

同情の意味

[名](スル)他人の身の上になって、その感情をともにすること。特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること。「同情を寄せる」「同情を引く」「被害者に同情する」

【goo辞書 より引用】

 

同情を英語で表現するとSympathy

同情ってあまり良い意味に取られませんよね。

よく共感と比較されます。

「同情はいらない」と言われたりもします。

同情するなら金をくれ

【ドラマ 家なき子より】

名台詞ですよね。

 

先ほどの引用から、

同情=【不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること】

だとしたら、同情はそんなに悪い事じゃないと思うのです。

 

でも、同情に、

  • 見下し
  • 上から目線

を感じたりすると、嫌になるのではないでしょうか。

 

「私だったらこうする」

「なんでこうしないんだ」

「もっと不幸な人はいる」

となどなどという、

よかれと思ってするアドバイス。

 

これをされると・・・

 

「私の気持ちなんて分からないんだ」

となってきます。

 

同情=【他人の身の上になって、その感情をともにすること。】

逸脱してくる概念ですよね。

 

人に寄り添いその人を操作しようとしないのが

共感のニュアンスなのでしょうね。

 

一般的には、同情は

  • 上から目線
  • 見下し

という概念が含まれていると解釈されていて

嫌われている節があると思います。

 

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同情すら嬉しかった

私は体調を崩しています。病気になり、最初の頃は、疎遠になる人ばかりでした。

理解してくれる人がいなく責められることも多くて辛かったです。

その時に、あまり仲良くなかった友人(Aとします)が

とても親身に同情してくれたのです。

 

飛び上がるほど嬉しかった覚えがあります。

 

言葉のお礼だけでなく

お歳暮を贈ったりもしました。

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同情がその人を満足させていることに気付く

もう一人の友人(Bとします)と3人で

1年に1回ほど会うようになりました。

Bが外国住まいになり、

Bが帰国した際に会うのです。

 

私はその3人で会う会が、楽しかった覚えがありません。

 

昨年は、その会が終わったら号泣しました。

悔しい想いをしたからです。

 

BとAと三人でいると、

Aは私がいない存在かのように、

Aが、ずっとBのことを

ヨイショしているのです。

 

「ファンなのかな?」

 

ってくらい、Bの子供の事、外国住まいの友人Bの事

なんでもかんでもやたら、ヨイショしているのです。

 

ちなみに、

B→既婚子持ち、A→夫婦二人子なし、私→病人ニートおひとりさま

の構図です。

 

去年の会も一つ前の年の三人会でも嫌な思いをしたので、行きたくありませんでした。

 

でも、

 

高熱が出て行けなくなっても、

家まで来たり、迎えに来てくれたりするのです。

 

「楽しくないから行かない」

 

というのは、向こうにとっては完全に想定外。

いくら何でも、ダイレクト過ぎて言い辛いですよね。

 

正直、親切の押し売り?

 

に感じてしまいました。

ピラミッド構造の社会

ピラミッド社会

先日、何気なく見ていたYouTubeでも、

学歴社会(大学名ランキング)を表わすのにも

このようなピラミッド構造の絵が使われていましたが、

友人A・B・私もいる枠が違うと思います。

新入社員時代の研修でも

このピラミッド構造を見せられて、

お店に例えて研修を受けたのを記憶しています。

お店では、配膳係が一番下のピンクという例えでした。

それと同様に、新入社員も一番下のピンクだと習ったのを覚えています。

 

さらに、Bの外国暮らしの友人の発言でも、

 

外国の日本人小学校の中でも、親の職業によってカーストがある」

 

と語っていました。

 

どこの関係性、組織にいても

この構造は避けて通れない社会です。

 

【類は友を呼ぶ】という表現もありますが・・・

同じ色の所で生じる悩み事は、共感が起こりやすく、

違う色の所で生じる悩みは、同情が起こりやすい。

というのもあると思います。

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別の共通友人Cの結婚出産の件で露呈した

そのAとBと私で会った時に、

共通の友人Cの話になりました。

 

Cはとても婚活を頑張っていた友人でした。

 

そのCが結婚したという風の噂に聞いたという話が話題に上がった時です、

 

A(同情してくれた友人)が、一瞬すごく不機嫌な顔になり

 

A「C?知らないー」

 

と言ったのです。

 

Bが「良かったよねー」

 

と言ったら、

急に

 

A「他人の幸せを素直に喜べる私達ってすごくない?」

 

って言い出したのです。

え?最初Cなんて知らないって、ムッとしたよね?素直に喜んだか?

 

それに私達って・・・

なんだかすごく無理を感じたのです。

最近になってCが妊娠中なことが発覚

最近になってCが妊娠中なことが発覚して、

問い合わせのメールがきてたことのついでに、

 

夫婦二人・子なしのAに伝えたら、

 

A「妊娠を聞いた時、正直複雑だった・・・」

 

と返信が来ました。

他人のカーストの移動が与える影響力

Aは、Cが結婚した話の時も不機嫌だったし、

Cが妊娠中のことを知ると【複雑な思い】・・・

(カーストが下だと思っている私には見栄を張らないようです)

 

Aの中で、

Cが結婚をしたということで、

自分と同じカーストになった。

 

さらに、

妊娠中だと知ったことで、

別のカーストになってしまった。

 

Aの素直な反応じゃないかと思ったのです。

 

Aは顔や態度に出るので、分かりやすいタイプです。

 

何が言いたいかというと、

他人のカーストの移動で動揺する人もいるということです。

 

※ちなみに私はCの話を聞いて、「こんな身でも結婚したいな」という

想いが強くなりました。

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最初は嬉しかった同情が嬉しくなくなった

学生時代、Aと私はそこまで仲良くありませんでした。

私はむしろBとの方が仲良かったのです。

 

でも、現在は、Bは家庭があり異国で頑張っています。

私の事なんて構っている暇はありません。

 

でも、心は通じています。

Bの気持ちありがたく感じています。

 

一方、Aは、私という存在がいることで安心している部分があるのではないか?

病人ニートおひとりさまの私はAを満足させるために存在している面があるのではないか?

 

と思ってきたのです。

 

Aがありがたくない訳ではありません。

ありがたいのはありがたいです。

 

しかし、3人で会うと必ず嫌な思いをします。

Bという、友達をそこまで賞賛する必要があるのでしょうか?

 

一方、私をバカにするのは、まだ、仕方のないことなのですが、

私が、何気なく発言した、家族のことまで、バカにする発言、

A「DNAが元々違うから諦めろ」とか

そのような辛辣とも言える、慰め方をされた時には憤慨しました。

同情はやっぱり嬉しくない?

自分より、不幸だと思える人を慰めている私は、

素晴らしい!えらい!同情出来るなんてすごい!

慰めてあげると「ありがとう」と言われるなどなど、

 

逆に相手の中の承認欲求だったり不足している想いを、満足させている部分があるのではないか。

 

と思ったりもしてきたのです。

 

友人に相談することで状況は変わりません。

ただの憂さ晴らしにしかなりません。

憂さ晴らしをしても満足はしません。

 

でも、憂さ晴らしをできる相手は

ありがたいという気持ちはあります。

結論

絶望の淵に1人佇まなくてはいけなくなった際は、

同情は生きるパワーになりました。

それは確かにありました。

 

しかし、【情けは人の為にならず】とは言いますけど、

自分より下の立場だったり、困っている人に優しくして、

【ありがとう】と言われることが、

エネルギーになっているのだとしたら、

少し気味が悪いなと思いました。

 

【便りの無いのは良い便り】とも言いますけど、

よっぽど日々自分たちの暮らしに追われて疎遠になっている

友人の方が実は健全なんじゃないかと思ったりもしました。

 

「誰も私(俺)の気持ちを分かってくれない」

「同情すらもらえない」と絶望の淵だと感じて、たたずんでいるあなた!

同情なんてこんなもんですよと言いたいです。

同情なんてなくても生きて行けます。







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